明治大学リバティータワー。大学とは思えないほど、ぜいたくな建物だ。
ここでひらかれたシンポジウムで、知り合いの田中ひかるさん、飛矢崎雅也さんが発表なさるので、きいてきた。
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夕方、さいごまでゆっくりきければよかったが、わたし自身の仕事もたまっているので、午前中のみ出席し、田中さん、飛矢崎さんと、栗原康さんの発表をきいていた。いずれもたいへん興味ぶかかった。
田中さんとは2006年の秋以来、ひさしぶりにお目にかかった。発表者、オーガナイザーとしてお忙しそうにしておられたが、少しことばをかわすことができた。
田中さんの発表は、こんにち世界ぢゅうにひろがりつつある「グローバル・アナーキズム」という全体テーマに即しながらも、1920年代にも国民国家のわくを超えた交流が見られたこと、それがあまり研究されていないことを摘示するものであった。
栗原さん、飛矢崎さんは大杉栄の研究者だ(大杉栄の研究者が複数集まるだけでも奇跡的ではなかろうか)。
飛矢崎さんの発表は、6年前、論壇をにぎわせた赤木智宏氏の言説をめぐって、その思想よりも心情を重視し、大杉栄のいう「生の拡充」、「美は乱調にあり」を対置した。そして、「生の拡充」を具現化した比較的最近の事例として、「素人の乱」をあげた。
じつは飛矢崎さんの肉声をきくのははじめてで、たいへんちからづよい話しかたをなさることにおどろいた。こういってはなんだが、わたしなどよりよほど教員らしい(笑)。
栗原さんの発表は、大杉栄の米騒動論から出発してこんにちのニホンの状況におよぶものであったが、「社会」なるものに対する徹底して否定的な見かた(それはアナーキズム方面でもかならずしも共有されていない)が、わたしが関心をいだいているジョルジュ・パラントの思想ともあい通じるものであるように思った。