ジョルジュ・パラントにかんする雑記帖

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 ことしの4月にでたばかりで、註文していた Louis Guilloux : Souvenirs sur Georges Palante が到着した。
 Yannick Pelletier による13ページにおよぶ長文の序文をよんだところだが、なかなか感動的だ。
 ウィキペディアの「ジョルジュ・パラント」の項目(じつは、この記事のニホン語版をはじめて書いたのはわたしだ)を編集し、かれの生地を詳細表記してくださった方がおられた。
 ただし、「ブランジー」と表記されるべき Blangy を「ブラニー」と表記しておられた。
 そこで、その都市名のフランス語版の記事も示しながら、Blagny ではなく Blangy なので、「ブランジー」ではないでしょうか、という趣旨のコメントを公開ノートに書いたところ、さっそくお返事をくださり、記事も修正くださった。
 このような、インターネットの完全公開の場での見知らぬひととの交流は、2000年代初頭にはさかんだったが、SNS の発達などでかなり失われた。それで、ひさしぶりにこころがあたたかくなり、なつかしい気分にひたることができた。

 先日、しごとのあいまに、たずさえていた Cahiers Louis Guilloux の第2巻を読んだので、すこしだけおぼえ書き。

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 第1部はジョルジュ・パラントからルイ・ギユーあてに送られた書簡の集成(1917年から21年にかけての65通)。
 パラントにかんする資料といえば、かれが公刊した著書や雑誌論文は残っているものの、パラントの手もとにあった原稿、日記、書簡などは、かれの死後、再婚の妻ルイーズが、金になる本だけ売りはらったあとすっかり燃やしてしまったので残っていない。しかし、パラントが発信した書簡は相手のところにあるのだから、残っているという道理だ。
 これらを読むと、パラントとギユーの親しい交際とともに、パラントが日常的にどのように思考していたかも読みとることができ、たいへん有意義だ。
 パラントも学期中は校務でいそがしかったらしく、≪tâches innombrables, nauséeuses et inutiles(かぞえきれない、吐き気をもよおす、無益な任務)≫などと書いていて、実感をともなって苦笑してしまう。

 第2部は≪Une carrière≫と題されたパラントの未公刊原稿で、これは奇蹟的にルイーズによる処分をまぬかれ、残っていたらしい。
 パラントの晩年、ボヴァリスムの理論家ジュール・ド・ゴルティエとの論争が過熱し、決闘騒動になった事件にかんする手記だ。
 教え子の弁護士ペリゴワ氏が、決闘の法的手つづき(1920年代はまだ、決闘が合法だった!)を補助することになり、証人の選定やゴルティエがわとの交渉を担当したが、その交渉過程で、ペリゴワ氏は、わたしにとってきわめて不利な条件をのまざるをえない方向にみちびいた、そしてそれはわたしをだまし、おとしいれるための陰謀だった、というようにくちをきわめてののしっている。
 もちろんこれは、パラントのがわからみた一方的な意見で、実際にはペリゴワ氏は、恩師のことを思い、決闘そのものを回避するために働いたのではなかろうか。それにしても、なかなかイメージのわかなかった事件について、なまなましくえがき出されており、貴重な資料になるだろう。

 第3部はギユーによるパラント評論で、やはり Cahiers Louis Guilloux の第2巻におさめられるまでは未刊だった。
 これも重要な文献だが、これについて述べるにはもう少し整備した論文のようなかたちのほうがよいだろうから、ここには書かないことにする。
 本サイトの「文献」らんにしるしたように、久木哲訳 (1975) :『個人主義の哲学』 (パラント著作刊行会) は、パラントの著書 (実質的には論文集) の La sensibilité individualiste および Combat pour l'individu からの抄訳であるが、いつも思いだそうとするのに時間がかかるので、訳されている部分とそうでない部分をまとめておきたい。○印は久木訳 (1975) 所収。△印は大杉栄による訳がある (じつはそれが、日本ではじめて翻訳が刊行されたパラントの著作)。×印はまだ日本語訳が刊行されていない。

La sensibilité individualiste より
○ La sensibilité individualiste
× Amitié et Socialité
○ L'Ironie
○ Deux types d'immoralisme
○ Anarchisme et individualisme

Combat pour l'individu より
× L'esprit de corps
× L'esprit administratif
× L'esprit de petite ville
× L'esprit de famille
× L'esprit de classe
× L'esprit étatiste
× L'esprit de ligue
× L'esprit démocratique
× L'esprit mondain en démocratie
× L'embourgeoisement du sentiment de l'honneur
× Le mensonge de groupe
× L'impunité de groupe
× La téléologie sociale
× Moralisme et immoralisme
× L'idole pédagogique : l'éducationnisme.
△ La mentalité du révolté
○ Le dilletantisme social et la philosophie du surhomme
○ Les dogmatismes sociaux et la libération de l'individu
 案の定、ドゥペンヌの2巻本はまだあまり読めていない。
 内容にいっそう興味がある第2巻からをよんでいて、その題名にもなっている≪永遠の異端≫とは、ジョルジュ・パラントが一生うしろ指をさされつづけたことをいうのではなく、つねに好んで異端でありつづけたことをさしていることに気づいた。
 ここでは≪永遠の異端≫の反意語は、≪組織された異端≫であって、それは避けるべきあらたなドグマでしかない。

 そもそも、≪異端≫を≪正統≫への叛逆としてとらえるのは歴史的に誤りで、実際には≪異端≫のほうがさきにあり、それへの対処として≪正統≫が整備されたのだった(コワコフスキーのキリスト教(無教会派?)研究による)。

 20世紀の到来とともに、生まれて間もない学問であった社会学の概説書をフランスではじめて書いた(Précis de sociologie, 1901年)パラントは、ほんらいなら、フランスにおける社会学の創始者とされるべきだった。
 しかし、デュルケーム派のもとにあったソルボンヌの教授陣は、かれに学位をあたえなかったばかりか、存在そのものを無視するという戦略をとった。それ以降も、フランス社会学の公的な、つまり、≪正統≫の歴史は、パラントに場所をあたえることはなかった。
 これこそ、≪異端≫が≪正統≫に先立ち、≪正統≫が≪異端≫への対処として形成されるという関係の端的な例といえよう。

 11月10日の記事で言及した Depenne による2巻本をようやく入手した。
 冬休みに読みたいものだが、ほかのしごともたまっているので、どうなることやら。

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 Souvenirs sur Georges Palante が来年覆刻されるらしい。
 旧版が手にはいらず、わたしにとってはまぼろしの書物だったので、たいへんよろこばしい。

 Louis Guilloux : Souvenirs sur Georges Palante
 Éditeur : Diabase
 Parution prévue : 10 avril 2014
 ISBN : 978-2911438936
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 明治大学リバティータワー。大学とは思えないほど、ぜいたくな建物だ。
 ここでひらかれたシンポジウムで、知り合いの田中ひかるさん、飛矢崎雅也さんが発表なさるので、きいてきた。
 http://palante.blog37.fc2.com/blog-entry-63.html

 夕方、さいごまでゆっくりきければよかったが、わたし自身の仕事もたまっているので、午前中のみ出席し、田中さん、飛矢崎さんと、栗原康さんの発表をきいていた。いずれもたいへん興味ぶかかった。
 田中さんとは2006年の秋以来、ひさしぶりにお目にかかった。発表者、オーガナイザーとしてお忙しそうにしておられたが、少しことばをかわすことができた。
 田中さんの発表は、こんにち世界ぢゅうにひろがりつつある「グローバル・アナーキズム」という全体テーマに即しながらも、1920年代にも国民国家のわくを超えた交流が見られたこと、それがあまり研究されていないことを摘示するものであった。
 栗原さん、飛矢崎さんは大杉栄の研究者だ(大杉栄の研究者が複数集まるだけでも奇跡的ではなかろうか)。
 飛矢崎さんの発表は、6年前、論壇をにぎわせた赤木智宏氏の言説をめぐって、その思想よりも心情を重視し、大杉栄のいう「生の拡充」、「美は乱調にあり」を対置した。そして、「生の拡充」を具現化した比較的最近の事例として、「素人の乱」をあげた。
 じつは飛矢崎さんの肉声をきくのははじめてで、たいへんちからづよい話しかたをなさることにおどろいた。こういってはなんだが、わたしなどよりよほど教員らしい(笑)。
 栗原さんの発表は、大杉栄の米騒動論から出発してこんにちのニホンの状況におよぶものであったが、「社会」なるものに対する徹底して否定的な見かた(それはアナーキズム方面でもかならずしも共有されていない)が、わたしが関心をいだいているジョルジュ・パラントの思想ともあい通じるものであるように思った。
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/65027/1/D_Kohara_Kazuma.pdf

 ひさしぶりに「母屋」のページに手をいれました。
 この「雑記帖」のひとつまえの記事でもとりあげた研究書を文献一覧に追加したほか、「サン=ブリユー、イリオン探訪記」を追加しました。

 サン=ブリユー、イリオン探訪記
 http://www.ne.jp/asahi/watanabe/junya/palante/st_brieuc_et_hillion.htm
Depenne1 Depenne2


 の2冊が出版されていたことに気づいた。さっそく註文しておいた。
 シンポジウムのお知らせをいただいたので、以下に貼りつけておきます。

国際シンポジウム 「グローバル・アナーキズムの過去・現在・未来~世界とアジアをつなぐために」
http://kansaianarchismstudies.blogspot.jp/

日時:2013年11月16日(土) 10:00~17:00
場所:明治大学駿河台キャンパス リバティータワー1083教室(以下のURLを参照)
http://www.meiji.ac.jp/cip/english/about/campus/surugadai.html

報告者:ガブリエル・クーン、飛矢崎雅也、栗原康、樋口拓朗、田中ひかる
コメンテーター:山中千春、仲田教人

主催:関西アナーキズム研究会、共催:グローバル・アナーキズム研究会、
Irregular Rhythm Asylum、オペライズモ研究会。
連絡先:joh.most(at)gmail.com

主催者より:今日アナーキズム運動は欧米を中心に、中南米、東南アジア、中東、
アフリカにおいて拡大し、それは”グローバル・アナーキズム”ともいうべき様相
を呈している。この現象は、新自由主義という単一の原理に基づくシステムに、
地球上にいるあらゆる個人が、自らの意志に関わりなく巻き込まれ、支配される
ことに抵抗し、グローバルに連携することによって生み出されていると言える。
日本とアジアはこのような動向に結びつくのだろうか。日本におけるアナーキズ
ムの過去を知ることは、このような現在と未来のアナーキズムを見据える上でど
のような意味があるのか。ガブリエル・クーン氏をゲストに迎え、グローバル・
アナーキズムの過去・現在・未来を見据えながら、世界とアジアが接続する可能
性を問うのが、今回のシンポジウムの趣旨である。

より詳しい趣旨説明は、以下を参照(英語・日本語併記)
http://kansaianarchismstudies.blogspot.jp/2013/10/explanation-of-aim-in-holding-symposium.html


ガブリエル・クーンさんのトランスナショナルなアナーキズムについての言葉:
・・・それと同時に、私たちには、あらゆる経済的な違いを超えて人々と共有し
たいという多くの日常的な欲求があります。つまり、様々な階級と文化に属する
人たちと食事をともにしたい、サッカーをしたい、コンサートをしたい、デモを
したい、という欲求です。[中略]反植民地主義的でトランスナショナルな共同
体の形成は、したがって、私たちが共有している、日々の欲求や願望を出発点に
しなければいけません。このようなレベルで、私たちは結びつき団結することが
できます。この結合と団結こそが、私たちを分かつ経済的な境界線に対してとも
に戦い、私たちの分断を固定化する政治的な構造に対してともに戦うための条件
なのです(ガブリエル・クーン「フィリピンのアナーキズムとトランスナショナ
ルポリティクス」『多様性、運動、抵抗 アナーキズム論文集』2009年 from
Gabriel Kuhn, "Anarchismus auf den Philippinen und transnationale
Politik", in: Vielfalt, Bewegung, Widerstand, Texte zum Anarchismus,
Munster: Unrast Verlag, 2009, p.86)。

ガブリエル・クーン、プロフィール: 1974年オーストリア生まれのアナーキス
ト、活動家、著述家・翻訳家。著書は、甘糟智子訳『アナキストサッカーマニュ
アル』(現代企画社、2012年)ほか、ドイツ語資料集『アメリカにおける「新し
いアナーキズム」 シアトル以降』(2008年)、ドイツ語論文集『多様性 運動
  抵抗』(2009年)、世界各地のアナーキストへのインタビュー資料集(共編著)
『ジャカルタからヨハネスブルクまで 全世界のアナーキズム』(2010年)、海
賊とアナーキズムについて(夜光社より近日翻訳刊行予定)『海賊黄金時代につ
いての省察』(2010年)、『革命のために生きる ハードコア・パンク、ストレ
イトエッッジ、ラディカルポリティクス』(2010年)、(編訳)『すべての権力
を評議会に! ドイツ革命ドキュメンタリー 1918-1919年』(2012年)など多
数。

そのほかの報告者・コメンテーターのプロフィール:
栗原康:武蔵野学院大学非常勤講師。主著『G8 サミット体制とは何か』(以
文社、2008年)など。2007年のハイリゲンダムG8サミット対抗行動に参加し、
2008年の洞爺湖サミットでは国外からの活動家のコーディネート役を務める。
栗原氏の報告要旨:
http://kansaianarchismstudies.blogspot.jp/2013/10/summary-of-first-presenters-report-of.html


飛矢崎雅也:明治大学政治経済学部助教。主著『大杉栄の思想形成と個人主義』
(東信堂、2005年)など。

樋口拓朗:アナーキスト。G8対抗行動をはじめアジアや欧米各地の運動に参加。
主著「群島のアナキズム」『気流舎通信 SOMA』Vol.1、気流舎、2013年、
20-23頁。

山中千春:日本大学研究員。主著:「文学による<革命>として-佐藤春夫「美
しき町」とホイッスラーの芸術論」(『欧米文学・言語学・比較文学研究』23、
2012年、166-186頁)など。

仲田教人:早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学。反G8サミットなど多く
の行動に参加。

田中ひかる:大坂教育大学教員。主著『ドイツ・アナーキズムの成立-『フライ
ハイト』派とその思想』(御茶の水書房、2002年)など。

シンポジウムポスター
http://4.bp.blogspot.com/--LUsN39sDBs/Um-uh5c_X0I/AAAAAAAAAgU/rMkU6VT6qTE/s1600/poster.jpg
 インターネット上の情報で、

 市川裕史 (2011) :「フランスのパンク文学 (5) : ジョルジュ・パラントとパンク哲学」『津田塾大学国際関係研究所報』46号。
 http://www2.tsuda.ac.jp/kokken/shohou_backnumber.html

 という論文の存在にいまさらながら気づいた。「パンク」という観点も新鮮だ。
 しかも、市川さんは、毎週月曜、白百合女子大学への非常勤出講時にお目にかかる機会のある先生ではないか!
 明日(月曜)、さっそく声をかけるつもり。

 [後日追記] 市川さんに直接お話しでき、ご論文をいただくことができました(歓喜)。
 一読しておどろきましたが、論文の文体をつきやぶり、「パンク哲学だぜ」とか「おもしれえ」とか書いているのが衝撃的です。しかし、このような論じかたこそが、パラントを語るにふさわしいような気がしてきました。
 わたしが2006年に書いた軽い紹介文をべつにすれば、日本語でパラントに関する論文が書かれたのは1928年に宮山栄が「ジョルジュ・パラントの所論について」を書いて以来じつに83年ぶりで、この意味でも記念すべきことです。
 まともに内容について語ることは、わたしもいずれ、論文のかたちでこころみたいと、希望だけはしております。
 ながらく放置していたパラントのページですが、また少しづつ手をいれていきたいと思います。
 まずは前時代的なページデザインを一新しました。

 http://www.ne.jp/asahi/watanabe/junya/palante/palante.htm

 2003年から2011年にかけてネット上で書いて、いまは消滅した雑文をまとめたものをつくってみました。
 パラントとその周辺にふれた文もいくつかあります。

 雑文集≪閑適抄≫
 http://www.ne.jp/asahi/watanabe/junya/kanteki/


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