ジョルジュ・パラントにかんする雑記帖

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 Le Coffret についてふれたひとつまえの記事をめぐって、友だちのTさんからから、つぎのようなおたよりをいただきました。ありがとうございます。

> 21世紀の独裁体制は、常に「自由」を売り物にしていることにだんだん気付いてきました。
> このことは、今までの未来小説では描かれてこなかったのではないでしょうか。
> 自由市場で売れないものは、出版されない。
> 誰も本は買わないから、出版されない。
> そういう説明ならば誰もが納得し、コントロールされているなんて夢にも思いませんよね。
> 「読めなくなっている」という事実に、誰も気付かない。むしろ「ますます自由で奇想天外な商品が溢れている」とみんな錯覚する。
> 本を読ませたくなかったら、権力者は、そのように市場をコントロールすると思います。
> それに気付いた人間が、インターネットで禁書を読もうとすると、妨害されるというパターンになるのではないでしょうか?


 Le Coffret でえがきだされている近未来の社会は、まさにそのような経過をたどって成立したものだと思います。
 その社会では、人民の圧倒的多数が自分を自由と信じ、現状に満足しており、主人公のようなひとにむけては、「なぜ自分から自由を捨てて、苦労をしようとするのだ。だれもおまえに常道を踏みはずすよう強制してはいないじゃないか」という、顛倒した「自由 / 強制」のことばづかいでの批判がなされる、というぐあいです。

 とりわけ、生産のテクノロジーや、社会の平穏に有害とみなされた「哲学」がたどる運命は象徴的です。
 それはまず、「知の科学」という偽装的名称に回収され、そのなかで、たとえば『士気が低いときにいかに喜んで働くか』というようなハウ・トゥー本ばかりが評判を得るようになります。
 そして、動画や電子媒体に本そのものが地歩をゆずり、「知の科学」も終焉し、ついには全面的な禁書の時代になります。
 ニホンの現状は、もう「知の科学」段階か、それ以上まで自然に来てしまっているのではないかと思います。
 いや、いまおもいかえすと、1990年代後半に、東大教養学部が仕掛けて、けっこうニホンぢゅうが浮かれていた『知の技法』ブーム(なんという偶然だろう、名まえが絶望的に類似している!)が、じつは「知の科学」段階の徴候だったのではないでしょうか。

> それにしても本当に今の日本は仰るとおり既にdystopie を地で行っているようですね。
> そして dystopie というものは、実はutopie と区別がつきにくいのかもしれません。


 この点にも賛意を表したいところです。
 ほんとうのディストピアが到来するときは、じつは黙示録的なおどろおどろしさはなく、当然の帰結とも思えるほどのなめなかな歩みなのでしょう。
 ステファヌ・ボーさんはジョルジュ・パラントの著作の多くを編集・再刊するなど、パラントに格別の思い入れをもっているひとですが、Le Coffret にはパラントの著作、とくに Pessimisme et individualisme の影響を色濃く感じました。
 抑圧が抑圧であるとさえ感じられなくなることによってこそ、ほんとうの抑圧が成立するのだ、という考え方です。
 Pessimisme et individualisme の結論から引用します:

≪Il arrivera un moment où les chaînes sociales ne blesseront presque plus personne, faute de gens suffisamment épris d'indépendance et suffisamment individualisés pour sentir ces chaînes et pour en souffrir. Le combat finira faute de combattants.≫(社会的な桎梏を感じとり、それを苦しく思うにじゅうぶんな独立性への情熱をいだき、じゅうぶんな個性をもったひとが少なくなるため、もはや社会的な桎梏が、ほとんどだれをも傷つけないようなときがくるだろう。闘争は、たたかう者がいないせいで終息するだろう。)

 そうすると、幼稚なことをいうようですが、苦しいことを苦しいと思えるニンゲンであることが、出発点として重要なのではないかと思います。
 あ、これもパラントがすでに言っていることでした。パラントのことばでいえば、≪pessimisme expérimental≫というものです。
 楽観主義は、ライプニッツにおけるごとく、抽象性とむすびついているのにたいして、悲観主義こそは、現実の、なまの苦しみにもとづいている。その苦しみによってこそ lucide たりうるという考えかたをしています。

> 未来に本が禁止される独裁社会の訪れる話は、トリュフォーの「華氏451度」が有名ですが、あれは純粋に「もしもそうなったら」という作り話のよ うで
> あまり説得力のなかった記憶があります。是非 Coffret を読んでみたいです。


 Fahrenheit 451 と比較した書評が、ネット上に出ていました:
 http://anagnoste.blogspot.com/2011/08/stephane-beau-le-coffret-laube-de-la.html
 ここで Fahrenheit 451 とくらべて Le Coffret にみとめられている「低温性」というものは、やはり、ほんとうにディストピアが到来するときの状況を、より正確にうつしている、ということなのかもしれません。