ジョルジュ・パラントにかんする雑記帖

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 きのうのつづきで、こんどは『女学者 Les Femmes Savantes』。

 『女学者』におけるアリストは、『亭主学校』におけるアリストが妥協を推尚していたのとちがって、衒学的な妻フィラントにあまりにも妥協的な兄クリザールにたいして、むしろ毅然たる態度をとるようにたきつける役まわりです。第2幕第9景より:

           ARISTE
 Certes, votre prudence est rare au dernier point !
 N'avez-vous point de honte avec votre mollesse ?
 Et se peut-il qu'un homme ait assez de faiblesse
 Pour laisser à sa femme un pouvoir absolu,
 Et n'oser attaquer ce qu'elle a résolu ?
              --- Les Femmes Savantes, Acte II, Scène IX
          アリスト
 たしかに、あなたの慎重さは、ほんとうにたぐいまれだ!
 そんなに優柔不断で、はずかしいとは思わないのですか?
 男が、妻に絶対権力をあたえたままで、
 妻が勝手に決めたことを、責めようとさえしない、
 そんなに意気地のないことがありえますか? 

 アリストは、えせ学者トリソタンにだまされたフィラントが、次女アンリエットをトリソタンに嫁がせようとするのを、じつはトリソタンが財産めあてでアンリエットと結婚しようとしていたことをあばいて阻止し、アンリエットが愛しあっていたクリタンドルと結婚できるように手だすけをします(この点は、イザベルがヴァレールと結ばれるように協力した『亭主学校』におけるアリストと相似しています)。第5幕第4景より:

           ARISTE
 Laissez-vous donc lier par des chaînes si belles.
 Je ne vous ai porté que de fausses nouvelles ;
 Et c'est un stratagème, un surprenant secours,
 Que j'ai voulu tenter pour servir vos amours,
 Pour détromper ma soeur, et lui faire connaître
 Ce que son philosophe à l'essai pouvait.
              --- Les Femmes Savantes, Acte V, Scène IV
           アリスト
 この良縁をふたりで自由にとりむすびなさい。
 わたしがもってきたものはにせの知らせにすぎない、
 あれは策略で、きみたちの愛の役にたとうとして、
 わたしがこころみた不意打ちの援護なのだ、
 お義姉さんに誤りをさとらせ、お義姉さんが学者と
 思い込んでいた奴の正体を知らせようとしたのだ。 

 このように、『女学者』におけるアリストは、総じて『亭主学校』のアリストにみたような「観照的」な態度というよりはもっと行動的で、自分からのぞましい結果をみちびきだす具体的な動きをしています。
 しかし一方で、えせ学者トリソタンにたいしては、冷徹な軽蔑の目をむけています。

 『女学者』におけるアリストもまた、『亭主学校』のアリストと、細部にちがいはあっても、常識的でバランスのとれた人格者としてあらわれています。
 この点を、パラントのいう「アリスト」概念にむすびつけるとすると、やはりその背後にある「貴族的個人主義」の、「シュティルナー的個人主義」にたいする優越性(とパラントが称するもの)が、モリエールのふたつの喜劇においてアリストがもっている優越性にあい通じると思われます。

 そのようなわけで、パラントが、モリエールのふたつの喜劇におけるアリストを意識しながら、「アリスト」概念を提出したことは、大いにありうると思います。
 しかしながら、パラントがモリエールに言及したことは、すくなくともアリストをめぐっては1度もありませんので、ここでも、パラント自身のくちからそれをきくことはできません。

♯パラントの著作にモリエールという名まえが出てきたことは、おそらくメルキュール・ド・フランスの哲学時評で1度だけ、それもサント=ブーヴがモリエールを評したみじかいことばを引いたときだけのはずです:
  Je songe au mot de Sainte-Beuve à propos de Molière : " Aimer Molière, c'est être assuré de ne pas aller donner dans l'admiration béate et sans limite pour une Humanité qui s'idolâtre et qui oublie de quelle étoffe elle est faite. " (le 16 mai 1914)