ジョルジュ・パラントにかんする雑記帖

まえの記事 つぎの記事
moliere

 
あたらしい思想をもたらす思想家の大部分は、自分の理想と、周囲の願望とのあいだにある不均衡をみたとき、自分の思想の価値をうたがった。かれらは、人類の真実、さまざまな知性をむすびつけ、統一する社会的、道徳的真実などないのではないかとうたがった。それが、ヴィニーにおけるシャテルロンの、ルナンにおけるネミの司祭の、そしてさらにおおくのほかの人物の、永遠のものがたりである。思想家はある種の貴族、「アリスト ariste」である。思想家として、かれはつねに孤立している。かれはけっして「数」にはならない。つまり、けっして、集団の精神を体現することはない。(パラント『個人と社会の対立関係』拙訳書p.42)

 このくだりをふくめて、パラントの全著作に数個所あらわれるのみで、パラント自身がまったく説明していない概念、アリストについて、おなじ名をおびた登場人物がモリエールの『亭主学校』(L'Ecole des Maris)と『女学者』(Les Femmes Savantes) に登場することを、N先生からご教示たまわったことは前回書いたとおりです。

 そのとき宿題にしていたモリエールのふたつの喜劇のうち、『亭主学校』を読了しましたので、小学生の感想文のようなものをかいてみようとおもった次第です。
 『亭主学校』の登場人物のアリストについてですが、パラントのいう「アリスト」とあい通じるかというと、そうともいえるし、そうでないともいえる、という、微妙なところです。
 『亭主学校』のアリストは、かれの弟のスガナレルとは対照的に、まずは妥協的で、寛容なひととしてあらわれます。第1幕第1景で、つぎのようにいっています:

        ARISTE
 Toujours au plus grand nombre il faut s'accommoder,
 Et jamais il ne faut se faire regarder.
 L'un et l'autre excès choque, et tout homme bien sage
 Doit faire des habits ainsi que du langage,
 N'y rien affecter, et, sans empressement,
 Suivre ce que l'usage y fait de changement. (L'Ecole des Maris, Acte I, Scène I)

        アリスト
 いつも、みんながするのと同じようにするべきだ、
 けっして目立つようなことをしてはいけない。
 両極端はひとの気にさわる、悧巧なひとなら、
 服装にしても、ことばづかいにしても、
 まったく気どったり、必死になって、
 流行のうつりかわりを追いかけたりしてはいけない。

 一見したところでは、ここにあらわれているのは、パラントのいう「アリスト」的なありかた、すなわち、孤立をまったくおそれずに傑出するというありかたとは逆の、ほどほどの妥協主義者のすがたではないでしょうか。
 しかし、よりひろい視点からみると、パラントが「アリスト」に象徴させようとこころみた、「貴族的個人主義 individualisme aristocratique」が、社会との無条件かつ徹底的な対決のみを目的とする「シュティルナー的個人主義indivicualisme stirnérien」と対置される、賢明な中庸性、包容性といった徳を、『亭主学校』のアリストはもっていると見ることができます。
 また、貴族的個人主義のもうひとつの側面、「観照的個人主義 individualisme spéctaculaire」という面も、『亭主学校』のアリストのなかに見いだすことができるように思います。結末にほどちかいところで、つぎのようにいっています:

        ARISTE
 Mon frère doucement, il faut boire la chose,
 D'une telle action vos procédés sont cause,
 Et je vois votre sort malheureux à ce point,
 Que vous sachant dupé l'on ne vous plaindra point. (Acte III, Scène IX)

        アリスト
 弟よ、しずかに、なりゆきをうけいれなければならない、
 こうしたことは、おまえのしかたが原因なのだ、
 その点で、おまえは運がわるかったとおもうが、
 おまえがだまされたと知っても、だれも同情はしないよ。

 これは、スガナレルが後見人をつとめるわかい女性イザベルをあまりに窮屈にしばりつけていたので、イザベルが一計を案じて恋人ヴァレールと結婚をきめたあとに、かねてよりスガナレルの態度に批判的だったアリストが言いはなつことばです。
 ここには、あくまでも冷静におろかさをさししめす、「観照的個人主義者」の一端があらわれているといえるのではないでしょうか。

 『女学者』についてはなお今後の課題にします。