ジョルジュ・パラントにかんする雑記帖

 先日、しごとのあいまに、たずさえていた Cahiers Louis Guilloux の第2巻を読んだので、すこしだけおぼえ書き。

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 第1部はジョルジュ・パラントからルイ・ギユーあてに送られた書簡の集成(1917年から21年にかけての65通)。
 パラントにかんする資料といえば、かれが公刊した著書や雑誌論文は残っているものの、パラントの手もとにあった原稿、日記、書簡などは、かれの死後、再婚の妻ルイーズが、金になる本だけ売りはらったあとすっかり燃やしてしまったので残っていない。しかし、パラントが発信した書簡は相手のところにあるのだから、残っているという道理だ。
 これらを読むと、パラントとギユーの親しい交際とともに、パラントが日常的にどのように思考していたかも読みとることができ、たいへん有意義だ。
 パラントも学期中は校務でいそがしかったらしく、≪tâches innombrables, nauséeuses et inutiles(かぞえきれない、吐き気をもよおす、無益な任務)≫などと書いていて、実感をともなって苦笑してしまう。

 第2部は≪Une carrière≫と題されたパラントの未公刊原稿で、これは奇蹟的にルイーズによる処分をまぬかれ、残っていたらしい。
 パラントの晩年、ボヴァリスムの理論家ジュール・ド・ゴルティエとの論争が過熱し、決闘騒動になった事件にかんする手記だ。
 教え子の弁護士ペリゴワ氏が、決闘の法的手つづき(1920年代はまだ、決闘が合法だった!)を補助することになり、証人の選定やゴルティエがわとの交渉を担当したが、その交渉過程で、ペリゴワ氏は、わたしにとってきわめて不利な条件をのまざるをえない方向にみちびいた、そしてそれはわたしをだまし、おとしいれるための陰謀だった、というようにくちをきわめてののしっている。
 もちろんこれは、パラントのがわからみた一方的な意見で、実際にはペリゴワ氏は、恩師のことを思い、決闘そのものを回避するために働いたのではなかろうか。それにしても、なかなかイメージのわかなかった事件について、なまなましくえがき出されており、貴重な資料になるだろう。

 第3部はギユーによるパラント評論で、やはり Cahiers Louis Guilloux の第2巻におさめられるまでは未刊だった。
 これも重要な文献だが、これについて述べるにはもう少し整備した論文のようなかたちのほうがよいだろうから、ここには書かないことにする。
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