ジョルジュ・パラントにかんする雑記帖

さいきん、辞書の執筆とか (-"-)、チュニジアでの研究発表の準備とか (-"-)、まったくべつのことで手をとられていて、パラント研究は開店休業だ。
この状態は12月上旬のチュニジア出張までつづく予定。

で、わずかに久木哲の遺稿集を読みかえしただけ。久木哲の遺稿集は、読みかえすたびに発見がある。
それは、まえに読んだときに不注意だったからではないかといわれるかもしれないが、かならずしもそうではない。
まえに読んだときにはさほど思いいれのなかった言及対象が、いまでは思いいれの度合いが高まっていたりするからだ。

たとえば辻潤との接点。
久木が就学時代にかよっていたのは、東京工業大学の前身の旧制高等専門学校、通称「蔵前」だが、関東大震災以降、蔵前から大岡山にうつっていた。
その大岡山に、パリからの帰国後住んでいたのが辻潤だ。
そして久木は、辻潤をかこんではなしをきく会などというものも、もよおしている。
久木がパラントを知ったのは、このころ大岡山の古書肆でもとめた『虚無思想研究』に百瀬二郎が書いていた、「ジョルジュ・パラントの死」によってだった。
そしてその古書肆が位置していたのは、辻潤の家から表通りに出たところだったという。
そうすると、久木が手にいれた『虚無思想研究』の出どころは、かなりの確率で、辻潤のところだったのではないか。
このような想像をするのはたのしい。

しかし、こんな「人物往来」みたいなはなしはつまらないかなあ。
ま、わたしも以前はつまらないと思っていたのだが、このようなつながりかたをするということを知ると俄然おもしろいとおもえてくる。なにやらふしぎな。

ついでにいうと、辻潤とパラントには、思想的な親和性があるようにおもえてならない。まだまったくの印象批評だが。


  <200608| 200609 |200610>